Last update:2017.02.08
吉祥寺オデヲン 13:10~
前の日、新宿オアシスへ聖書を買い求めに。その帰り際、映画「沈黙」のちらしが目に留まった。
実は礼拝後よく見たら、教会にも置いてあった。それまで何度も視界に入っていたはずなのに、公開初日(1/21)に気付き手に取るとは。
陣内牧師のメッセージでの勧めもあって、急遽その足で観に行くことに。しかし、チケット売り場でPG12指定と知って、一瞬怯む。こうなったら覚悟して臨むのみ。
この状況の中では、間違いなく自分も踏み絵を踏む。小学生の頃授業で習った時も、命をかけてまで踏むことを固辞するなど理解できなかった。言葉や態度でどう表そうと、本当の気持ち、心は誰にも譲れないのだから。
ロドリゴ神父(Andrew Garfield)が苦渋の末の決断をするシーンで、「声」が聞こえたのは救い。
日常に於いても「沈黙」の神ではあるが、御心を知るべく常に願い、問う日々。結局答えは自分で選ぶしかないのだが、祈ることによって導かれる。
帰路、今までのメッセージメモを見返していると、9/11『誰も奪えない』冒頭で"虫の声が季節の変わり目"と記されている。虫の声で始まる映画とまるで同じで驚く。
神と共にいる魂を誰も奪えない
力は弱さの中でこそ十分に発揮される
弱さを誇ろう
それで大丈夫だ、と「声」が聞こえたような気がした。
記憶に刻んでおきたい。
鑑賞後見つけて読んだ記事の一節、
「この作品は“正しい”宣教師たちがむごい拷問を受けながらも“間違った”日本の役人たちと対峙するストーリーではない。」
そこが新解釈というか、善と悪ではないところに共感した。それぞれの立場で善が異なるだけ。実生活においても言えること。
http://fashionpost.jp/portraits/91615
「すごく弱いんだけど、強さの裏返しみたいな部分がある」
めちゃくちゃ共感!