Last update:2017.02.06
「わかりたいと思っていることしかわかろうとしない。
わかる範囲でしかわかろうとしない。」
というメッセージは少々耳が痛かった。興味のないことは聞き流してしまうことが多々あるからだ。また、
「聞いたことがある、知っている…ではなく、その時その都度聞き従う。見て覚る。」
というメッセージにも、反省。
実際、同じことを何度も聞いてるのに、何回目かでようやく気付く…という経験がある。
この日は清掃があるため昼食会にも参加。お隣の方とのお喋りの中で、銭湯が教会前の通り沿いにあると聞き驚く。いつも通っているはずなのに知らなかった。Google マップで検索すると確かにヒット。帰り道注意して見てみると、なるほど煙突があった。営業時間外でのれんが出ていないため、気に止まらなかったのだ。
メッセージを受けてのような出来事、たとえを啓示されたのかな?
見聞きしたことに、その都度感動や発見をできるような、いつも受け止められる姿勢でありたいと思った。
Message Memo
以前4年ほど住んでいたことのある二子玉川を訪れたら、大きく様変わりしていてびっくり。
だが、下界は変わっても空は変わっていない。
自分も変わっていない。
遠藤周作 著「沈黙」
沈黙している神、その中に答えがある。
聞こえないから、メッセージを見つけ出そうとしているのではないか?
祈りや願いにレスポンスを求めてしまう。
わかりたいと思っていることしかわかろうとしない。
わかる範囲でしかわかろうとしない。
たとえで話す理由は、民衆のため。聞く側の姿勢による。
幸いだ→祝福、大丈夫、そのまま行け、という意味合い。
◆ヨハネによる福音書 5:17
イエスはお答えになった。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」
働く→私たちが受け止めよう。
意識して、見て聞いて覚る。
聞いたことがある、知っている…ではなく、その時その都度聞き従う。見て覚る。
まず、自分の今の姿を直視。
東美教会 陣内大蔵 牧師
- イザヤ書 6:1-7
- マタイによる福音書 13:10-17