Last update:2017.02.20
カナンの女のように『くいさがりましょ』というお話と思いきや!イエス自身がモデルという解釈に、目から鱗。メッセージ準備当初は前者のつもりだったそうで、陣内牧師自身、新たな気付きのメッセージとなった。
「神の人であり、人間でもあった。」
初めてイエスという"人"を身近な存在に感じた。2000年も前の出来事が、目に浮かぶようだ。語り継がれた伝説。だんだん面白くなってきた。聖書は堅苦しい宗教の書物のみに非ず!
礼拝後の賛美アワーで、21-520。作詞 Howard Walter (1883-1918)は宣教師になりたかったのだが、心臓の病があり、早稲田大学で働いていて、学生と一緒に作ったのがこの詞とのこと。また、作曲者は譜面が書けなかったので鼻歌で作曲、譜面は別の人が起こしたそう。陣内牧師のピアノでスウィングっぽくアレンジ。
ヤソ臭くない、とある人が表現されたそうだが、そういう部分、自分も失わないよう大事にしていきたいと思った。
Message Memo
※山口朝日放送撮影
陣内大蔵「じんのうちたいぞう」と読むが、じんないおおくらなどと呼ばれてしまうことも多い。長男「風大」はルアハ(大いなる風)という意味から命名、風"太"ではないのだが、間違えられることも。名前の読み方や、1字違いについて。
カナンの女 → 聖書には名前すら挙げてもらえない(場合によっては人数に数えてもらえない)存在の女性たち。父権制社会。
イエスの無視・拒否・差別。
「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」
- 子供たち=イスラエルの人・ユダヤ人
- 犬=外国人(侮蔑・差別)
イエス自身がナザレ出身、サマリア人から差別・馬鹿にされたのに?
cf. マタイ10:5・ルカ9
ユダヤ人とサマリア人の溝、限界を感じていた?
→神の人であり、人間でもあった。
特殊能力・お金などのために集まる人たちに対し一線を引く。→「主よ、ごもっともです」受け入れつつも返答、引かず、くいさがる。→ 限定解除。考えを変え一線が消える。ここから新境地へ(across the line)。
イエス自身が躓きのモデル?
「自分で自分のために引く線を改めよう!」あきらめず、不誠実でも招いてくれる、神の呼びかけ。
それまで以上の世界観が待っている。義務でも強制でもない。
※プライドの高いナアマン ↔ プライドを捨てたカナンの女(対比)
東美教会 陣内大蔵 牧師
- 列王記下 5:8-14
- マタイによる福音書 15:21-31