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『命の終わりは、命のはじめ』


Last update:2017.04.18

 

初めて教会で迎えるイースター。

子どもたちも一緒の礼拝だからか、いつもより口調がやわらかで、メッセージもさらにわかりやすかった。

そして幼児洗礼式も。洗礼式に立ち会うのは、自分が受けて以来、これも初めて。洗礼形式は違うが25年前のあの日を思い出す。私も原点に戻ってもう1度スタートの気分になる。

 

讃美歌 21-575『球根の中には』

「命の終わりは、命のはじめ」メッセージのタイトルはここからだったのか。それよりも、「過去(過ぎ去った時)と未来」でやっとピンと来た。陣内大蔵 牧師の歌『僕は風 君は空』

この曲の歌詞も対になっている。

でも調べたら作詞は山中耕作さん。(陣ちゃんセンセじゃない!?)山中さんもクリスチャンなのだろうか?とまたまた調べたら西南学院大学の先生?(未確認)知らなかった。

 

イースターエッグは、カリグラフィーデザインのをいただく。最近全然練習してないなぁ…と思いながら、帰りの電車内で眺めていたら、かつて一緒にカリグラフィーの雑誌を購読していた、仲良しの元同僚さんを思い出した。先日、チャーチコンサートに来てくれた彼女のこと、プレゼントしたらきっと喜んでくれるに違いない、と思ったら嬉しくなった。帰路、店に寄って渡すと、やっぱり笑顔で受け取ってくれ、しばし談笑。そこで彼女がくれた言葉に、深いパワーをもらった。

 

誠、間、間に神がいる†

 

ヨハネによる福音書 11:25

イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」

Jesus said to her, “I am the resurrection and the life. The one who believes in me will live, even though they die 

Message Memo

イースター!

詩編136交読:見よ、兄弟姉妹がともにすわっている

大人と子ども合同で、パンとぶどう酒を囲むような椅子の配置。いつもこの形でもいいと思うくらい好き。

イエス様を中心に、みんな中心を向く。

※イースターの他、6月の子ども礼拝、12月のクリスマスもこの配置

 

自分と相手の間にイエス、私たちの間、間にイエスがいる。

 

イースター=イエスが復活したお祝いの日

 

cf.先週『何が起きたのか、何が起きなかったのか』

▶十字架上で死んだイエス。息を引き取った時に神殿の垂れ幕が真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け…(起きた!)

▶でも直接イエスを助けることはできなかった。ゴルゴタの丘では何も起きなかった。他人は救えたのに、自分は救えないのか?→多くの人を救った!自分のことより他人のこと。

また、子ども礼拝では、ペトロさんが夜明け鳥が鳴くまで3回知らないと言った。→一人泣いた

 

正確には"神によって"、復活"させられた"

「おはよう」と現れた。「兄弟たちにガリラヤで会おう」

ガリラヤは、弟子たちがイエスに出会った原点。→もう1度スタート!

 

讃美歌 21-575『球根の中には』は1985年の作品で比較的新しい曲。歌詞には、冬と春、沈黙と歌、闇と夜明け、過去と未来、終わりと始め、死と復活、のように対になっている。

 

マタイによる福音書、最後はイエスの言葉。

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」

 

間のイエスを心で感じながら、イエスに習い、他人のことを考えられるように。

今日も、明日も、明後日も、間、間にイエスがいる。


東美教会 陣内大蔵 牧師

  • イザヤ書 12:1-3
  • マタイによる福音書 28:1-10