Last update:2017.05.13
弔電紹介の件は、どんな残念なことがあったのだろう?と訝しむ"タメ"があってからの、声に存在感があったという、その方の真似をされたかのような「ヌシ」に、思わず会場から笑いが漏れ、お悔みの悲しげな気持ちを一掃してしまう。
先日チャーチコンサートで、
「よく礼拝メッセージは普通なんですね、と言われるんですけど、普通のメッセージで良かったらいらしてください」
なんて仰ってたけど、ライブほどではないにせよ、時々笑いを誘うような話術。
そして、マルタの行動と気持ちを読んだような解釈。
毎日終わっているけれど、毎日新しく始まっている。
まさに、newdays!
Message Memo
GWにディズニーランドへ。無言になるほどの疲れ。
悲しい出来事も。弔電紹介で残念な一件。
「わがヌシよ、わがヌシよ・・・」
死んだらおしまいという世間一般の概念。
クリスチャンでさえ、悲しいことはないと言いつつ悲しそう。
東美教会階段の途中にある「希望」という書。
信じきれなくても運んでくださる。
ラザロの復活のシーン。17節 4日も → もう蘇生できない期間が経った
15スタディオン=約3km
11:8 弟子たちに引き止められた(危険)
11:16 行って一緒に死のうではないか
→ 2日の遅れ
マルタが出迎え・・・どうしてすぐに来てくれなかったか?という訴えや怒りもあったかも?
このことを信じる(か)→疑問形ではなく断定
いや、あなたは信じている!と語りかけてくれている。
人と人との関係性にも通じる。
信じる=関係修復に手遅れはない
∵神自身がそういう存在、在り方。見捨てずにいてくれる。
27 信じております→現在過去完了(今まではしんじてましたけどね=皮肉的?)揺らぎ。信仰告白と、信じたい気持ち。
すべてが終わったかのように見えたところから始まる。始める。
信仰において手遅れはない。
日々新しくされ続けている。
毎日終わっているけれど、毎日新しく始まっている。
信じたいけど…信じているから…悔しい。
「日の出に向かってイエスと歩いている」
修復、回復、復活。そして永遠の命。
東美教会 陣内大蔵 牧師
- ネヘミヤ記 2:1-18
- ヨハネによる福音書 11:17-27