Last update:2017.05.25
隠れたことを見ておられる。すべて御存知。願う前から!
先週三島教会での礼拝で感じたホームシック、やはりここ東美教会が私のホームなのだと思った。そう感じられるようになれたこと、月日の積み重ねに感謝。陣ちゃんセンセのメッセージが聞きたくて通い始めたのだけれど、この教会の方々との交わりが魂の家族のように感じる。
「平和のうちにこの世へと出ていきましょう」
礼拝終わりの陣内牧師祝祷にあるように、この世へと出て行くのだ。
今この時、この場所、このポジションに置いてくださったことに感謝。
Message Memo
先週の日曜、母が天に召された。クリスマス(12/25)に生まれ、母の日に亡くなるとは、「たらちねの母よ」と言っていた母らしい。
17日に水海道教会、加藤先生の司式で葬儀。
「祈る」心を合わせる。声を合わせる。
主の祈り・・・1880年の訳(140年前!)
"唯一"こうしなさいという祈り
どう祈れば?と思うようなときでも。
言い回しが違っても、中身に注目
主語が「わたしたち」=私も、あなたも、彼も、彼女も!
「今日1日」
主の祈りを反対にしてみると(主語を「わたし」にしてみる)
普段の願いにありがち。
主の祈りは、よく考えると祈りにくい内容。
→ イエスの生き方が反映されている祈り。「わたしたち」にイエスも入っている。
山上の説教
- 施し
- 祈り
- 断食
嘆き・悲しみ・・・すでに御存知!
シンプルに!
どんな祈りでもよい。神は知っているから。
教会や牧師が何と言おうと!
福音・生き様が要約されている「わたしたち」
丁寧に捧げたい。
東美教会 陣内大蔵 牧師
- 列王記上 18:25-39
- マタイによる福音書 6:1-15