Last update:2020.06.04
礼拝メッセージとそこから感じたことのメモを綴り始めたきっかけは、ライブレポート感覚で伝えたい、一人でも多くの人に知ってもらいたい、必要な人に届けたい、という思いからだった。
百聞は一見に如かず。
礼拝の配信が実現し、ブログに記す必要もなくなった。そう思っていた。
けれど、同じメッセージを聞いても受け手によってそれぞれの響き方、解釈があるものだ、ということを思い出した。
それに過去の日記を読み返していて
「言葉にすることが、思考である。」
という言葉に再会した。
http://yahoo-mbga.jp/30547248/diary/566075574
イースター礼拝に始まった配信礼拝も先週で一区切り。
今週からは通常の礼拝が再開。
諸事情により、しばらく礼拝に出席できないため、ショートメッセージという形で配信を続けてくれることが本当にありがたい。
昨年のペンテコステ礼拝で、"炎のような舌"と聖書朗読中になんとなく見上げたステンドグラス。それが正に炎の舌の象徴だという由来を聞き、
「もし教会のホームページを作ることができたら、そんな"秘話"も教会プロフィールとして紹介できたら…」
とある方にお話していた。
昨年から構想はあったものの、ようやく2月に本格的に"着工"に入ったホームページ作り。3月の役員会で承認してもらえるように目標を設定し、急ピッチで何度も連絡のやり取りを経て完成に漕ぎ付けた。
陣内牧師には相当プレッシャーをかけてしまったが、一度はあきらめようとした昨年秋、
「作りましょう!」
と積極的に動いてくださったからこその結果。本当に感謝†
ホームページ、礼拝の配信、と立て続けに願いが叶ったのは、昨年のペンテコステ礼拝で炎の舌から目に見えぬパワーを授かっていたからなのではないかと思う。それがつまり、聖霊なのかもしれない。
書くことで、新たに得られた気付き。
もう一度初心に戻り、自分の言葉で綴り続けていこうと思う。
今年は実際に見ることは叶わなかったが、ピアノに写ったステンドグラスを見つけた時、
https://www.instagram.com/p/CA4excdp78j/
またパワーをもらった気がする。
Message Memo
ペンテコステは、クリスマス、イースターに並ぶ祝日。
教会の誕生日。
処刑から50日後にあたる。
イースター礼拝から配信礼拝だったため、久しぶりに集った今日は感慨深い。
炎のような舌。
全体主義ではない。それぞれの言葉!
舌には言葉という意味もある。
愛や聖霊という言葉は、初めどう訳すかよく分からなかった言葉で、愛は"お大切の心"と訳していたり、聖霊はこうであると言い切れない。
行きたくないのに行かされる。
行きたいのに行かれない。
など、自分の判断や力ではどうしようもないこと。
今日の礼拝はまだ、大手を振ってというわけにはいかず、讃美歌も1番だけ小さい声で。静かな集まり。
価値観を揺さぶられ、常に新しくされる。
一人一人にそそがれる。全体主義ではない。個人主義でもない。バランス。
神の働きがある、確信を持って行こう。
東美教会 陣内大蔵 牧師
- 使徒言行録 2:1-11